PRINCIPLE

夢の広がりを大切に、人と人との出会いに感謝し、その胸のときめきを忘れず、いつまでも心と心の結びつきを大切にしたい。

また、いつも初心に戻り、お互い認め合うところは認め合い、人間味があり素朴でも地味でも人間関係を大切にしたものの考え方を、常々会社創りの基本理念としております。

当社は、バランス感覚を保ち、常に前向きに物事を考え、お互い励まし合い助け合いながら、日々の生活を充実させ、お客様とのコミュニケーションを大切に信頼関係を育てていきたいと考え、会社創りをしています。また、バブル経済に躍らされず、マイペースで地味でも堅実に目的を達成してまいりたいと考えております。

話は変わりますが、浮谷東次郎をご存じですか?

“ダイナミックトージロー”といわれた幻の天才ドライバーです。
享年23歳でなくなりましたが、私の尊敬する人物の一人です。
名門両国高校を突然辞め、単独アメリカへ渡りバイクでアメリカ縦断に挑戦した、波瀾万丈の人生を送った人です。帰国後、国内の自動車メーカーに自分を売り込むために手紙を連日出し、ついにトヨタ自動車に採用され、念願のファクトリードライバーに契約されました。その後の活躍はめざましいものがあり、モータースポーツの世界では今だに伝説として受け継がれています。
著書も出版され、彼の最後の言葉に「コース場に人がいれば走れないよ」と鈴鹿サーキットで最後を迎えました。夢を現実にしていくあのエネルギーとパワーには圧倒されるものがあります。
突然このようなことを書いたかといいますと、本来人間の持っている潜在能力と努力を実践された方だから既成概念にとらわれず、夢は努力すれば実現できる事を証明されました。私の考えである、「夢の広がりを大切に」と共通点があります。現実は厳しいものがありますが、時々人生に迷ったときに、この著書を読み返して自己啓発をしたり反省したりして日々の生活に感謝しております。

今後とも信頼に応えられるよう頑張りますので社員一同よろしくお願い申し上げます。

浮谷束次郎 略歴

1942年7月1日 市川市に生まれる
1949年4月 私立日ノ出小学校大学
1955年4月 同中学校入学
1956年8月 第一種原動機附二輪車免許取得
1957年8月 市川一大阪“がむしゃら1500キロ”の旅
1958年4月 都立両国高校入学
1958年9月 小型自動四輪免許取得
1958年10月 私家版“がむしゃら1500キロ”出版
1959年4月 日野市にて二輪車でトラックと接触事故、立川病院にて7月まで入院
1960年10月 横浜出港。アメリカ留学へ
196012月 N.Y.州立ジャマイカ高校3学年入学
1961年2月 N.Y.私立Rhodes高校夜間部入学。タイムライフ社にメイルボーイとして勤務。
1961年7月 ニューヨークからロスアンジェルスに移動
1961年9月 Ca.州立Mt.SanAntonioCollege入学
1962年7月 同校を退学し、二輪車のひとり旅
1963年2月 Southem Ca. Institute of Art and Sciences入学
1963年6月 帰国
1963年9月 日本大学農獣医学部入学
1963年11月 トヨタと1ヶ年専属ドライバー契約
1964年5月 第2回日本GPにコロナで出場(11位)
19649月 イギリスのジム・ラッセル・レーシングスクールで受講
1965年3月 日本ストックカーレースにコロナで出場(10位)
1965年5月 鈴鹿自動車レース大会で2種目優勝
1965年6月 KSCCl時間自動車レースにカラスで出場(4位)
1965年7月 全日本CCCレースで2種目優勝
1965年8月 CDCJ鈴鹿レースにホンダ・スペシャルで出場(4周遅れ)
1965年8月20日 鈴鹿サーキット走行中に事故、翌21日死亡